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これからのこととかいろいろ

お久しぶりです。ブログなんて何書けばいいのかさっぱりとんなものですから、更新は本当に気まぐれです。気まぐれついで、最近の活動についてぼちぼちと語ろうかと思います。
 まず、捺さん主催の遺品アンソロジー「Memento」に参加させて頂いております。遺品というと死を連想させて不謹慎にも思われるかもしれませんが、ひとりの人間が生きてそこに在る以上、そしてその存在がいつか来たる死に必ずや連なる以上、決して無くなることはないものだと思っています。生きた証ですから。他者の死も、自分の死も、恐ろしくないなんて言えない。階段をひとつ進んだ先、足元は空虚で広がる世界は闇。それは、地獄とか死後の世界に対する想像というよりむしろ、自分の存在が喪われることに対する恐れのように思います。自分が自分じゃなくなる。どこからも、誰からも切り離されて、遠いどこかへ行かなくちゃならない。旅ですらない、生者との断絶。ままならないけれど、生きることは、死を見つめることでもあるように思います。memento moriという言葉は、わたしという人格の根っこをなす考え方でもあります。どうして、とはいえないけれど。茶化すわけでも、弄ぶわけでもなく、だって死と生って硬貨の裏表を成す概念なのに、どうして片面だけみて、それが全部だなんて考えられるでしょう。と私なりに真面目に考えています。大事なことだと思うから。
 この命がいつぷっつんと途切れてしまうかなんて、遠い五十年後か、一週間後か、明日かなんて自分にもわからないし。だからこそ、一日一日を悔いのないように、家族も友人も周りの人もめいっぱい愛して生きていきたい。とか思ってたらいつのまにかできあがってたのが「カシュシャティダーの呪い」です。オカルト系とか不穏なタイトルとか仰ってくださった方がいらっしゃいましたが、初めそう思って読んで頂けたら先が楽しいと思います。内容についてはネタバレ避けるため言及しませんが、アンソロのメンバー・話の内容的に、最初のシリアス原稿をぶん投げてこちらに着手して正解だったなと心底思います。岩塩振りかぶってくる方々こわい。
 続いて、スイ様@0℃の夢の「蒼穹、その果て」後日譚の表紙絵/裏表紙を担当させて頂いたことをここにご報告します。中学生の頃から追い続けてきた長編小説で、もうもう人生の宝物ですよね。お話を頂いたときには吃驚しましたが、本当に光栄なことだと思います。後日譚の内容は拝読していないのですが、どうやらうまくイメージの擦り合わせができたようですので、どうぞお楽しみに。
 最近の創作について。短編集の方にぼちぼち手を付け始めています。完成するかはちょっとわからないけれども、自分が好きだなあと思った要素を詰め込んでいきたい。彗星(コメット)とかよいですよね。
 現実をみているはずなのに非現実の世界に変換される割合が最近とみに多くて、自分の頭の中がよくわからないなぁと思いますが、これが多分、私の人生の愉しみ方なのだろうな、と。勉強も創作も頑張りたいです。おしまい!
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「ぐるぐる回ってバターになる」アンソロジー参加

今年1月、文フリ京都にて頒布された珠宮フジ子様主催のアンソロジー「ぐるぐる回ってバターになる」に参加させて頂きました。
 表題は「ミルクと悪魔と子守唄」
 ぐるぐる考えながら夜明けまで書いていたはなしです
 (以下、内容諸々ネタバレ、核心部分は折り畳み)

 今回、小説の構想最終案にたどり着くまでは、長い時間がかかりました。
 2015年に「白孔雀」を書き上げた後から、「完成されたかたちの文章」というものに対して、ひどく臆病になったように感じていました。あの小説は、半年間サイトを休養し続け移転に至るまでの間、戦い続けた二作のうちのひとつであり、長く取り組み、推敲に推敲を重ねたもので、私にとっては「ブランク明けに人様にお披露目する初めての小説」だったのです。勇気が要ったし、それまで感情でぶつかるように書いていた作品と比べ、技巧的だと思う面もあった。当時はそのことに、強い抵抗を感じていました。今は落ち着いて見返すことができますが、書き上げた直後はのっぺりとした自己嫌悪がまといついていました。
 その後、時計台本に関わらせて頂き、自分の中にある曖昧なものを抽出していく難しさにぶつかりました。私の中で映像として捉えていた作品でした。外国の映画のようなイメージ、におい、流れでそのまま文章にうつしとった。けれど、もう一度頁を開いて話を眺め直したとき、その脈絡のなさ、まとまりのなさに愕然としました。それをひとつの小説として、文章という手段でみたとき、果たしてこれは、相手に伝え得るものとして成立するのか、と。つまりは、私の中の映画を言葉にしただけで、小説のていを全く成していないように思えたのです。歯車のように、対のように噛み合わせて、完成度をもう少しだけ、上げる努力ができていれば、と今更のように振り返って思います。お相手の文章が、更新される度により素晴らしく整えられ、研ぎ澄まされていくのを目の当たりにしていたので、こういう言い方はそぐわないかもしれないけれど、正直悔しかった。追いつきたかった。そのくらい、体当たりで臨みたいお相手でした。
 サイトを始めて、いろいろな場所で自分の小説で参加させて頂くようになってから、年々感じていたこと。感情に任せて書くということは、読み手を振り回すのではないか。私の伝え方は本当に、これしかないんだろうか。叫びは確かに相手のこころを揺さぶるかもしれない、けれど、自分の話が似たような末路にばかりなっていく。私の感情は、この泣き喚き方しか、知らないんじゃないか。受容体を増やそうと努力はしているはずなのに、アウトプットがテンプレート一択。いやすぎる。
 そんな葛藤を続ける中で、この「ミルクと悪魔と子守唄」だけは、感情で選んだ話でした。理性的な視点ではとうてい、書けないと思ったからです。
 きっかけは両親から。母の、人の頭の撫ぜ方がいっとう上手なのと、父の「大人になったとき、自分が恩を受けた人に、いざそれまで頂いたものを返そうと思っても、返せないことが多い。だから、次の世代に渡していくんだ」という言葉から。私にはまだ、年を経たとき、自分が何を思うのか想像もつきません。人を大事にしようと思って努力はしているけれども、恩を返すとか、返さないとか、考える余裕もなく生きている。でも、もし、彼らから学び受け取ったもので、今すぐに誰かに伝えられるものがあるとしたら、と考えて書いていた。
 愛が尊いとかそういうはなしじゃないんです。面倒で、断ち切りたくて、厭わしくて、ずっと一緒にいると疲れ果てて身が亡ぶ。それでも繋がっている。縋ってしまう瞬間がある。いとおしくて狂おしくて、でもやっぱり切り離してえなこれ!!!! みたいな。簡単な言葉で表せない感情を描く、という最近のテーマをきちんと掴んで書けた。そんな気がします。

 ここから、かれらの関係性と、最後の文章について(内容ネタバレがあるため、未読の方にはあまりおすすめできません)。



6月

気付けばあっという間に6月です。半年。いやはや早い。
何をしていたかなんて、もはや憶えていない。
3月初旬まで試験に追われてジェットコースターな日々でした。
3月は東京でスイさん琴子さんとお会いし、更には梶さんとも鎌倉でお会いしました。大変たのしかったです。今更の振り返りですが。
辺境地帯に住んでおりなかなか都心に出ることが難しい環境ですから、自分を気にかけてくださる方々がいると思うと本当に嬉しくなります。
そのまま勢いで出雲まで行って参拝もしてきました。切実に御縁が欲しいです。大社の神さま、お願いします!笑
4月からは、数週間おきに人が入れ替わるという人生で滅多にない環境におかれています。新鮮で楽しい。一方で、人と長時間関わり続けることに疲労してしまうインドア派なので、ひいこら言っています。
ブログを書くなんて滅多にないし(サイト更新か余程暇か)、今日はどちらかといえば後者なのですが、なんとなく。
3月がインプットの時期だったとすれば、今はアウトプットしようとして燻っている時期なのかな、と。書きたいことはなんとなく見えているのに、言葉が見つからず、ただだらだら言葉の残骸を引っかけ引き摺り回して森をさまよっているような気がします。そう森。今森がアツい。しかし書けない。夏に突入するとエンタロの連作ネタが降ってくるし、雨の日は男やもめと歌劇俳優の話を書きたくなるしで、少しずつあっちこっちに気を散らせてしまっているのも原因だと思う。
乾き切った砂漠は時計台でもう書いてしまったので、もういいだろうと思っていたんですけれど、この砂漠、私の中の創作世界とはどうも切り離せないらしい。一方で、じっとり雨降る深い豊かな森もある。なんとなく、です。でもそんなイメージ。
新しい話を書き上げるのは当分先になりそうです。
本当はもっとコンスタントに、時間があるときに少しずつ書いて溜めていければよいのだけれども、それができるような思考状況ではないし(レポートとか勉強のこととか)、まあそれを言ったらキリがないんですけれども、少し勿体無い気もする。
去年よりは作品数少なくなりそうですが、あたためてきたお話を形にしてゆく時間と捉えてもよいのかもしれない。山中問答(碧と白煙)もだいぶ前ですが、足かけ3年でようやっと終わらせられたので。
それでは、また。