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「ぐるぐる回ってバターになる」アンソロジー参加

今年1月、文フリ京都にて頒布された珠宮フジ子様主催のアンソロジー「ぐるぐる回ってバターになる」に参加させて頂きました。
 表題は「ミルクと悪魔と子守唄」
 ぐるぐる考えながら夜明けまで書いていたはなしです
 (以下、内容諸々ネタバレ、核心部分は折り畳み)

 今回、小説の構想最終案にたどり着くまでは、長い時間がかかりました。
 2015年に「白孔雀」を書き上げた後から、「完成されたかたちの文章」というものに対して、ひどく臆病になったように感じていました。あの小説は、半年間サイトを休養し続け移転に至るまでの間、戦い続けた二作のうちのひとつであり、長く取り組み、推敲に推敲を重ねたもので、私にとっては「ブランク明けに人様にお披露目する初めての小説」だったのです。勇気が要ったし、それまで感情でぶつかるように書いていた作品と比べ、技巧的だと思う面もあった。当時はそのことに、強い抵抗を感じていました。今は落ち着いて見返すことができますが、書き上げた直後はのっぺりとした自己嫌悪がまといついていました。
 その後、時計台本に関わらせて頂き、自分の中にある曖昧なものを抽出していく難しさにぶつかりました。私の中で映像として捉えていた作品でした。外国の映画のようなイメージ、におい、流れでそのまま文章にうつしとった。けれど、もう一度頁を開いて話を眺め直したとき、その脈絡のなさ、まとまりのなさに愕然としました。それをひとつの小説として、文章という手段でみたとき、果たしてこれは、相手に伝え得るものとして成立するのか、と。つまりは、私の中の映画を言葉にしただけで、小説のていを全く成していないように思えたのです。歯車のように、対のように噛み合わせて、完成度をもう少しだけ、上げる努力ができていれば、と今更のように振り返って思います。お相手の文章が、更新される度により素晴らしく整えられ、研ぎ澄まされていくのを目の当たりにしていたので、こういう言い方はそぐわないかもしれないけれど、正直悔しかった。追いつきたかった。そのくらい、体当たりで臨みたいお相手でした。
 サイトを始めて、いろいろな場所で自分の小説で参加させて頂くようになってから、年々感じていたこと。感情に任せて書くということは、読み手を振り回すのではないか。私の伝え方は本当に、これしかないんだろうか。叫びは確かに相手のこころを揺さぶるかもしれない、けれど、自分の話が似たような末路にばかりなっていく。私の感情は、この泣き喚き方しか、知らないんじゃないか。受容体を増やそうと努力はしているはずなのに、アウトプットがテンプレート一択。いやすぎる。
 そんな葛藤を続ける中で、この「ミルクと悪魔と子守唄」だけは、感情で選んだ話でした。理性的な視点ではとうてい、書けないと思ったからです。
 きっかけは両親から。母の、人の頭の撫ぜ方がいっとう上手なのと、父の「大人になったとき、自分が恩を受けた人に、いざそれまで頂いたものを返そうと思っても、返せないことが多い。だから、次の世代に渡していくんだ」という言葉から。私にはまだ、年を経たとき、自分が何を思うのか想像もつきません。人を大事にしようと思って努力はしているけれども、恩を返すとか、返さないとか、考える余裕もなく生きている。でも、もし、彼らから学び受け取ったもので、今すぐに誰かに伝えられるものがあるとしたら、と考えて書いていた。
 愛が尊いとかそういうはなしじゃないんです。面倒で、断ち切りたくて、厭わしくて、ずっと一緒にいると疲れ果てて身が亡ぶ。それでも繋がっている。縋ってしまう瞬間がある。いとおしくて狂おしくて、でもやっぱり切り離してえなこれ!!!! みたいな。簡単な言葉で表せない感情を描く、という最近のテーマをきちんと掴んで書けた。そんな気がします。

 ここから、かれらの関係性と、最後の文章について(内容ネタバレがあるため、未読の方にはあまりおすすめできません)。





 文字数制限で削りましたが、主人公を説明するにあたり、「一番愛されるものに看取られずに山で亡くなった彷徨える魂」という一文がありました。躰を失って彷徨うようになった魂は、生前の記憶を持ちません。かれを「一番愛していた者」は、かれに外套を与えたそのひとであり、かれらはかつて(生前)、言葉のまま、主人公と子供のような、温かな感情を通わす関係でした。その後、何があってあんなふうになったのかはご想像にお任せします。
 そして、本文最後の一行について。表現の重複のようで、おや、と思われた方もいらっしゃるかもしれません。過去の想起と共に、悪魔は宣言通り、取引の実行を行った――かれに死を与えた、ということを、とてもわかりにくく書きました。これは救いでもなんでもなく、作中では取引は成立する限り必ず行われるもの、つまり最後の願いは叶うという結末を描くためのものでした。このシビアなルールがある世界ですから、天秤が釣り合わない取引はどちらかの身を削る。先の悪魔の例のように。
 最後となりますが、イメージbgmはフォーレの「シシリエンヌ」でした。切なくも温かさのにじむ一曲です。大好き。
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